Lに魅せられた作家

アート・ガーファンクルの口

 アート・ガーファンクルは歌う時に大きな口を開けます。そもそも口が大きい人なのに、舌の動きまでがよく分かるほど大きく開けるのです。見ないわけにはいきません。私なんかは、歌そっちのけで唇、舌、歯、そして口蓋に見入ってしまうことがあります。

 口蓋と書きましたが、「こうがい」と読みますね。ふだんはあまり見かけない言葉だと思います。中にはこの言葉を使わずに一生を終える方もいらっしゃるにちがいありません。ちなみに、私はこの言葉を鉛筆やペンで書いたことはありません。書かずに一生を終えるという予感があります。

 口を大きく開けると奥にのどちんこ――ごめんなさい、どきっとする言葉ですね、ウィキペディアの「口蓋」の解説に使ってあるので使いました、写真も載っていますよ――が見えますが、上の歯とのどちんこまでの辺りのことです。つまり舌の上の部分です。

 サイモンとガーファンクルによる、Bridge over Troubled Water (明日に架ける橋)では、1981年にニューヨークのセントラルパークで行われたコンサート(Live at Central Park, New York, NY - September 19, 1981)の動画がいちばん好きです。

 口の動きに見とれることができるし、特にこの野外コンサートでは何曲も歌う間にだんだん日が暮れていき、観客たちの顔も次第に見えなくなり、ガーファンクルは球場のマウンドにひとり立たされた投手のような孤独を味わっているにちがいない、なんて想像してしまいます。

 ひとりでスポットライトを浴びているガーファンクルの目の表情も見逃せません。ライトを反射して瞳が光っているのですが、大会場でビビっているような不安そうな色が、その目に浮かぶ瞬間があります。大観衆を前にした緊張と孤独感から来るのでしょうか。ときおり目線が泳ぐところも素の感情が漏れ出たように感じられ、ぞくっと来ます。

 また、若いがゆえの表情を楽しめます。不安を打ち消そうとするような、不敵な笑み(1:37あたりに注目)――。こうなるともう妄想ですね。おまえ、勝手に妄想していろ、という感じでしょうが、お付き合いください。 

 見どころおよび聞きどころは、Like a bridge over troubled water I will lay me down (1:05 あたり)と Like a bridge over troubled water I will ease your mind ( 2:25 と 3:48 あたり)というサビの部分の口の動きです。


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*Like a :

  L の舌先が口蓋に触れます。学校で習ったとおりです。i (アイ)ははっきり発音されます。little を正確に発音すると分かりますが、単語の冒頭に来る l と最後に来る l は微妙に異なり、冒頭の l は舌先を上の歯の後ろにくっつけるように、最後や途中に来る l では舌先が口蓋の真ん中あたりに来ます。後者の場合には、口蓋にガムが張りついていて、それを剥がそうとする感じで息を吐くと「おー」みたいな深くこもった音になります。

 したがって、little は「リロ」みたいに発音されます。apple が「アポ」に聞こえるのと同じです。「リトル」でも「アプル」でもありません。また、アルファベットのLは「エル」ではぜんぜんなくて「エオ」みたいに響きますね。要は舌先が口蓋の歯の近くではなく真ん中についていればいいのです。

 単語の最初に来る l を意識的にゆっくり発音すると、ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』の冒頭を思い出さずにはいられません。

Lolita, light of my life, fire in my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo . Lee. Ta.
(太文字は引用者による)

 ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。
(『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ著・若島正訳・新潮文庫

 上で引用した原文に施した太文字の L と T をご覧ください(原文に太文字はありません)。やたら目につきますね。作者のナボコフが作品の冒頭で書いた部分ですから、選び抜いた語が並べられているにちがいありません。

 これは、もはやLという音を賛美した詩ではないでしょうか。

 身も蓋もない言い方になって恐縮ですが、こういう緻密かつ繊細な「音の芸術」は翻訳不可能だと思います。小説は散文なのですが、ここなんかはもう詩だと言いたいところです。詩、特に韻律のある詩を別の言語に翻訳すると別の詩になると言われますが、分かる気がします。

 小説の言葉は目で見る文字としてだけではなく、朗読して味わうことができます。この部分は、特にそうです。ぜひ音読してみてください。上の引用では、(私が原文に施した)太文字のTとLに注意しましょう。

 L と T は基本的に舌先が同じ位置にあり、T では上の歯のすぐ後ろにある口蓋を舌先が叩くというか弾くようにして発音されます。舌打ちにも近いです。ナボコフはそれを十分に意識しています。

 ナボコフの L という子音に対する入れこみようは尋常でありません。L フェチと言ってもお墓の下のナボコフさんは腹を立てないのではないでしょうか。

 さて、突然ですが、SMLと揃いましたので、この辺でまとめましょう。

SML(そしてH)

 谷崎はMですね。健康かつ元気でかまってちゃんな女性に振り回されるのを喜んでいます。たとえば『痴人の愛』、『鍵』、『瘋癲老人日記』を読むとよく分かります。(中略)

 川端はSだという気がします。かなり自己中で強引で有無を言わせないところがありますよね(『みずうみ(みづうみ)』ではストーカーまでします)。(中略)

 乱歩はたぶんかなり偏ったMでしょう。Mというだけでは済まされないという意味です。乱歩は変化球をばんばん投げましたよね。奇想とも言います。これでもかこれでもかという具合に。あれはすごいです。Mというより、M寄りのH(辞書に載っているHという意味です)と言うべきかもしれません。

(拙文「「うつる」でも「映る」でもなく「写る」」より)

renrenhoshino.hatenablog.com

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 これでSML(そしてH)と揃いました。めでたしめでたし。こういう様式美が好きなのです。とはいえ、Hは余分だなんて思いません。

ナボコフについて

 半分冗談はさておき、若島正さんによる新訳が新潮文庫で読めるのはうれしいです。この訳書は注がいいですね。大江健三郎による解説もなかなか読ませます。大江健三郎が上の訳書で解説を書いた背景には、大江が著わした『美しいアナベル・リイ』という小説があります。

 個人的には、ウィキペディアの解説によるナボコフの経歴が小説のようで面白く読めます。興味深い人生を送った人物です。

 L の人であるナボコフ作『ロリータ』のオリジナルとされる作品に『ローラのオリジナル』がありますが、Lolita と Laura ですから、l ×2+t 対 l ×1 でロリータの勝ちですね。

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 ナボコフについて、もう少し話させてください。

 ヨーロッパの諸言語に精通していたナボコフがヨーロッパ文学について論じた『ナボコフの文学講義』はかつて小笠原豊樹訳の単行本で持っていました。作品をその原語で読んでいただけでなく、実作者ならではの洞察にあふれる論考はこれでもかと言うくらい説得力があり、わくわくしながら読んだのを覚えています。現在は野島秀勝の新訳(河出文庫)が出ていますが、野島氏のなさったお仕事ですから信頼できる名訳にちがいありません。

『ロリータ』の作者というイメージだけをお持ちのお方はぜひ、こちらを読んでイメージを一新させてください。これだけ広範囲にしかも深く読んでいたナボコフに古き良きヨーロッパの文化人的教養を見せつけられた思いがしました。母語に加えて周辺の諸語に通じていて、文芸作品を原文で読みこなせるという意味での教養です。

 そうしたナボコフの文芸批評には、多言語をこなして批評活動をおこなっていたジョージ・スタイナーと似たテイストを感じます。スタイナーの『言語と沈黙』(せりか書房)は、原書と隣り合わせにして書棚にまだあります。いつかぱらぱらとめくってみようとかと考えています。由良君美が監修した豪華な訳者陣による訳業です。

 ナボコフやスタイナーのような広い「教養」を備えた作家や批評家は、もういないのでしょうか。勉強不足で最近の動向については知りません。

 スタイナーのことを考えていて、エーリヒ・アウエルバッハの『ミメーシス』(筑摩書房)を思い出しました。この本はすごかったです。手元に残してしないのが悔やまれます。かつて大学生だった私にこの本の存在を教えてくださった高山宏先生が「翻訳でもいいんだけど、ぜひ英訳で読んで欲しいなあ」と盛んにおっしゃっていたのを思い出します。

口は楽器である

 では、話を戻します。

*bridge :

 b で一瞬唇が閉じます。r の発音では l のように、舌の先が上の歯の後ろにくっつかないように気をつけましょう。「ブウィッチ」みたいに発音するのがコツですね。

*over:

 v の音では、ちゃんと下唇が上の歯に触れます。f もそうですね。学校で習ったとおりです。ガーファンクルが教科書どおりの口の動きを見せてくれるとうれしくなります。ほー、やっぱりね、なんて。

*troubled:

 ここにも r があるので、「トラ」というより「トワ」と発音すると舌の先が上の歯の後ろにくっつきません。この l は子音ですが語の最初ではなく途中に来るので、「お」という母音に近いです。ややこしいので、さきほどの説明を以下に引用します。

”【…】little を正確に発音すると分かりますが、単語の冒頭に来る l と最後に来る l は微妙に異なり、冒頭の l は舌先を上の歯の後ろにくっつけるように、最後や途中に来る l では舌先が口蓋の真ん中あたりに来ます。後者の場合には、口蓋にガムが張りついていて、それを剥がそうとする感じで息を吐くと「おー」みたいな深くこもった音になります。
 したがって、little は「リロ」みたいに発音されます。apple が「アポ」に聞こえるのと同じです。「リトル」でも「アプル」でもありません。”

 つまり、「とわぼ」みたいに発音されるわけですね。最後の d は t と同じく舌先が l のように上の歯の後ろに来ますが、その位置に舌先が来て軽く叩くというか弾くだけで、ほとんど聞こえないはずです。無理に音を出さなくてもいいということですね。

*water:

 w は母音の u と同様に、英語では深く喉の奥から出す音になります。何しろ、「ダブリュー」は「ダブル・ユー」ですから、本来は同じ音みたいです。

 ちなみに、フランス語でWは「ドゥブルヴェ」みたいに発音して、Vがダブル、つまり二つあるという意味になります。英語では今説明したように「ダブリュー」は「ダブル・ユー」でUが二つという意味です。で、UとVは昔々同じだったらしいのです。

 したがって、例のBVLGARI(ブルガリ)はBULGARIであり、その表記に矛盾はないということになります。脱線して、ごめんなさい。

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 話を戻します。

 日本語では口をあまり開けずにしゃべりますが、英語の w や u では、日本語の「う」よりは思い切り唇をすぼめて上下に引っ張るようにするとうまく音が出るようです。ガーファンクルの口の動きを真似ましょう。発音練習には最高の先生だと思います。口が大きいのがこの人の取り柄です。

*I will lay me down:

 この三つの単語は意識的に連続して発音するように心がけるときれいに音が出るのではないでしょうか。I'll lay という具合に、w は省いてもいいように思います。me では口を左右に思い切り引いて「イー」と、そして down の「アウ」もめりはりをつけて、母音を強く発音するのがコツみたいです。n では、日本語の口を閉じた「ん」にならないように、舌先を上の歯のちょっと奥の口蓋につけて口を閉じないように締めくくりましょう。

*I will ease your mind:

 最後の声を上げて熱唱する部分では ease の「イー」ではうんと口を左右に引き、 mind の「アイ」では大きく口を開け、ガーファンクル先生の口の動きそっくりに真似て発音してみましょう。will と your は弱く発音されるので注意してください。

「あい、うぃ、リージョ、まい、n d」という感じでしょうか。典型的な英詩の強弱強弱っぽいリズムですね。n と d は舌先の位置だけ正確にして構えて、音は出さないほうが自然に聞こえると思います。

 以上は、難聴者の私が勘を働かせながら必死に動画を見た結果ですので、間違っていたらごめんなさい。あくまでも、個人の感想であり意見です。

     *

 アート・ガーファンクルの歌い方を見ていると、つくづく口は楽器だと思います。上下の唇、舌、口蓋、歯に注目し観察しながら、ぜひ動画を見てみてください。いちばんいいのは、口の動きを真似ながら歌うことです。自分が口になったような気分が味わえますよ。

 映る、写る、移る、です。つまり、画面に映っている表情や動きが、自分の中で転写されて、「何か」が移ってくるのです。表情と動きは、話し言葉(音声)や書き言葉(文字)と同じく言葉だと言えます。

 唇、舌、口蓋、歯の動きや位置を意識して真似るのです。何だかエロいことをしているような感覚になればしめたものです。そうなのです。口は性器でもあるのです。変なことを言ってごめんなさい。でも、冗談ではないのです。

 ジークムント・フロイトとかジャック・ラカンとか精神分析学とかジル・ドゥルーズについての本を斜め読みすると(つねに意識散漫で集中力のない私には精読は無理です)、人が性器だけで性行為をするものでもないことや、性と生が密接に結びついていることや、全身が性感帯であり生感帯であることが分かるし、生まれたばかりの赤ん坊が唇や舌で世界を感知し触れ合う行為の深い意味について学べるでしょう。

(これも私に言わせると、映る、写る、移る、なのです。この辺については、拙文「私たちはドン・キホーテボヴァリー夫人を笑えるでしょうか?」で詳しく書きましたので、興味のある方はどうかご一読ください。)

renrenhoshino.hatenablog.com

 簡単な例を挙げます。赤ちゃんのおしゃぶり、赤ちゃんをふくむ老若男女の唇に触れる癖、思わず唇を噛む仕草、無意識あるいは意識的に唇を舐める仕草、広告写真における唇の氾濫、軽く口を開けている人間の無防備な魅力、歯医者で欲情するという告白、女性の口紅、男女を問わず存在する喫煙という風習、特に男性に見られるパイプへの偏愛……。こう列挙すると何かいやらしくないですか?

 上述の小難しいそうな固有名詞を出さなくても、意識的にゆっくり言葉を音として発することで、ぞくぞくわくわくどきどきを楽しむことができるし、たとえばその行為によって発汗や赤面や動悸や息切れをはじめとする生理現象が起こることを確認できるのです。

Lの誘惑

 さきほどの引用を繰り返します。

Lolita, light of my life, fire in my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo . Lee. Ta.
(太文字は引用者による)

 ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。
(『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ著・若島正訳・新潮文庫

 原文を日本語に移しかえることは不可能だと思いませんか? あの L と、L と親戚みたいな T の連続のエロさ。上で説明した、唇、舌、口蓋、歯の動きと位置を思い浮かべて、ご自分でも、ナボコフLolita という小説の冒頭を音読してみてください。

 ゆっくりと(slowly)、唇(lips)、舌(tongue)、口蓋(palate)、歯(teeth)の動き(movement)と位置(position)を意識しながら……。

 英語では tongue(舌)と言語(language)はきょうだいです。両方とも、舌という意味の古い言葉から出てきた単語で、tongue には言語という意味もあります。「母語」は英語では mother tongue とか native tongue とか native language と言いますね。

 L と T は音的に近いのです。lot と tot を発音してみましょう。L も T も、発音する時には、舌先が上の歯の後ろの口蓋に来ますよね。発音の要領を確認したところで、Lolita と発音してみましょう。

 繰り返しになりますが、L と T は基本的に舌先が同じ位置にあり、T では上の歯のすぐ後ろにある口蓋を舌先が叩くというか弾くようにして発音されます。舌打ちにも近いです。ナボコフはそれを十分に意識しています。ナボコフの L という子音に対する入れこみようは尋常でありません。L フェチと言ってもお墓の下のナボコフさんは腹を立てないのではないでしょうか。

 Lの誘惑。これです。

 ナボコフは、Lに誘惑され取り憑かれた人のように感じられます。Lolita という名前より、Lに取り憑かれている気がします。あの小説の冒頭のように、 l をばらばらしているからです。つまり、Lolita を解(ほど)き、ばらばらにするのです。名前を身体の比喩と見なすとすれば、この行為は猟奇的だと言わざるをえません。

 名前=身体を口の中に入れ、舌で転がしながら、解(と)き、解(ほど)き、解体し、解帯させるのです。

Lolita ⇒ Lo-lee-ta ⇒  Lo . Lee. Ta.」 

「ロリータ ⇒ ロ・リー・タ。 ⇒ ロ。リー。タ。」

 このように、解体はエスカレートしていきます(若島正氏の訳文にも工夫が見られますね)。これにエロスを感じないなんてありえないし、だいいちもったいないです。いやしくも文芸作品の冒頭にある言葉を読むのであれば、このエスカレーションと挑発に乗って、Lの誘惑に身を任せればいいのです。

 ウィキペディアの解説によると、英語圏では Vladimir Nabokov と表記される ウラジーミル・ナボコフのフルネームは Владимир Владимирович Набоков だそうです。Lolita のフルネームは Dolores Haze ですが、作中でこの名前で呼ばれることはほとんどありません。

 英語式には、Vladimir Vladimirovich Nabokov ですから、l が二つあります。Lolita にも二つ l があるじゃないですか(dとtは舌の位置が同じだし)。お揃です。浅はかな私は、ナボコフもさぞかし感慨無量だったろうなあと妄想しないではいられません。