文学

辺境としての人間

テリトリー、外、内、辺境 辺境に身を置いた人たち 言葉は外と内から辺境へとやって来る 辺境としての自分 夢の言葉、言葉の夢 テリトリー、外、内、辺境 昔の話です。 「仏文学は澁澤龍彦、独文学は種村季弘(たねむらすえひろ)、英文学は由良君美(ゆらき…

うつせみのあなたに

ビードロ、ぎやまん、硝子 うつせみのあなたに 山のあなたの空遠く あなた(かなた)・彼方・貴方(貴男・貴女) マラルメとうつせみ ビードロ、ぎやまん、硝子 ガラス。硝子。ビードロ。ぎやまん。 ガラスという言葉で、ビードロという言葉を思い出しました…

あれよあれよと読む

きちんと本が読めないのです あれよあれよと読んでしまう あれよあれよにも種類があるのです いやだ、ズルしちゃ駄目よという感じでしょうか 内容とか筋はどうでもいいです きちんと本が読めないのです 一日の大半を過ごす居間のテーブルには、PC脇に何冊…

小説をまばらにまだらに読む

線と点で線状に並べていく 言葉は人の外にある外 「きょうから、黒いカラスは白いサギだ」 複製、拡散、保存される文字 本物(実物)のない複製の時代、起源のない引用の時代 文字は便利 一気に書かれたわけではない 活字は錯覚装置 「まばらにまだらに」が…

「ない」ものに気づく、「ある」ものに目を向ける

「 」「・」「 」 「ない」ものに気づく、「ある」ものに目を向ける 「ない」ために目立つ 一人称の代名詞が省かれている 「 」から「こちら」へ 「 」と「こちら」から「俺」へ ストーリーでも内容でもなく、書かれてそこにある言葉の身振り タイトル、titl…

「欠けている」と名指したときに欠ける

欠けている 数量が足りない 動きに追いつけない 点と線でしかない 書くときに感じる失調 欠けていると書けている 最初に失調がある 「ない」から書けている 「欠けている」と名指したときに欠ける 欠けている 足りない、欠けている、ない。 何かが足りない、…

異、違、移

それは強烈な個性ではなかった。なるほど強烈な個性はまわりの人間たちを、異和感と屈辱感によってだけでも、かなり遠くまで引きずって行くことができる。実際にそんなこともあった。 (古井由吉『先導獣の話』(『木犀の日』所収)講談社文芸文庫p.22) 違…

ジャンルを壊す、ジャンルが壊れる

ジャンル嫌い、ストーリー嫌い 「らしさ」「っぽさ」がジャンルを成立させている 雑誌に連載された小説、新聞に連載された小説 パソコンで執筆してネットで公開される作品 小説を壊す、小説が壊れる 崩壊 崩れ とりとめのないものにこだわる ゆるやかに章が…

「日、月、白、明」、そして「見、目、耳、自」が

古井由吉作『仮往生伝試文』は確かに難解なのですが、理解なんて無粋なものは求めていない気がします。読めば読むほどそんな気がしてなりません。難しいのではなく、むしろ読みにくいのです。そんなわけで、お経と同じで意味なんか知らなくてもいいと決めこ…

「私」を省く

小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも――いやいまになって思うとそう感じていたからこそ――わざと言わなかったのかもしれません。本名を短くした「Jちゃん」を「ぼく」とか「…

知らないものについて読む

文芸作品そのものを読むよりも文芸批評を読むほうが好きでした。大学生時代はちょうど文芸批評の全盛期みたいな雰囲気があり、従来の印象批評の本が相変わらず続々出版され、フランス製のヌーベルクリティックとか英米加製のニュークリティシズム、そして日…

文字を見る

私には「文字を読む」ことが途方もなく難しい行為に思えてなりません。見るのではなく読むことが、です。たいてい見ているのです。見てしまうのです。 読んでいると、文字を追いながら、文字以外の何かを思いうかべたり、思いえがいたり、思いおこしたりして…

「似ている」の魅惑

「ワンパターン」は褒め言葉 作家が書くときの癖 繰り返し出てくる光景や身振り 他人の家に入る 共振する身振り 書いてあることを読まずに、書かれていないことを読んでしまう 作品と作家を超えて共振する身振り 「似ている」に依存する 関連記事 「ワンパタ…

他人の家に入る

他人の家に入るとぞくぞくします。こんなことをしていいのだろうかという後ろめたさも覚えます。こういう気持ちが特殊なものかどうかは知りません。話せる友達がいないので聞いたことがないからです。 私は他人の家に入った経験が人よりずっと少ないのではな…

書き手の癖、読み手の癖

このところ吉田修一の小説を読みかえしているのですが、再読するのはぞくぞくするからです。わくわくよりぞくぞくです。 どんなところにぞくぞくするのかと言うと、吉田の諸作品に繰りかえし出てくる動作とか場面なのです。複数の作品に共通して見られる身振…

プライベートな場所、プライベートな部分

他人の家に入るとわくわくするとか、どきどきすることがありませんか? よその家に足を踏み入れた瞬間に、その家独特の匂いがしたり、自分の住まいとは違う湿度を感じたり、何か見てはいけないものと出会う予感がしてどぎまぎすることがないでしょうか。 私…

トイレ同盟

この歳になってようやく人に言えることがいくつかあります。人と会う機会が極端に少ない生活を送っているので面と向かって話すのではありませんが、こうやってネット上で記事にようやく書けるようになったことがあるのです。 とはいえ、やっぱり恥ずかしいの…

Lに魅せられた作家

アート・ガーファンクルの口 SML(そしてH) ナボコフについて 口は楽器である Lの誘惑 アート・ガーファンクルの口 アート・ガーファンクルは歌う時に大きな口を開けます。そもそも口が大きい人なのに、舌の動きまでがよく分かるほど大きく開けるので…

読みやすい文章、読みにくい文章

黙読しやすい文章 速読しやすい文章 読みやすい文章、読みにくい文章 すごい人たち 長いけど読みやすい文章 耳に入りやすい文章 最後に 黙読しやすい文章 漢字が適度に使われている文章は黙読しやすい気がします。読むというよりも、見て瞬間的に意味を取る…

私たちはドン・キホーテとボヴァリー夫人を笑えるでしょうか?

声に恋して悪いでしょうか。言葉に恋することなど、古今東西で行われてきた人のいとなみではないでしょうか。人が、声や書かれた文章(言葉)や、映像で見た表情や身振りや仕草に恋することなんて、ざらにあります。 私たちは、現実とフィクションと幻想を混…

一人でいるべき場所

このところ、夜になるとやって来る女性がいます。枕元に立つのです。顔はよく見えないのですけど。というのは、半分冗談です。神仏のたぐいは信じていませんし、超常現象とか神秘体験みたいなことはほとんど無縁で生きてきました。でも、半分冗談ですから、…

目まいのする読書

目まいのする読書 20年で変わる社会と言葉遣い 言葉はつねに過渡期にある 対訳で読み、日本語を鍛える 「似ている」→「似る・似せる・真似る」→「なりきる」→「なりかわる」 目まいのする読書 目の前に三冊の本を置いて、同時には無理ですから、それぞれをつ…

有名は無数、無名は有数

有名は有数、無名は無数。 有数の有名、つまりたくさんあるわけではない有名な名前の力はきわめて強大であり、無数にある無名、つまり星の数ほどある無名の名前が束になって掛かってもかなわないのです。 (拙文「有名は有数、無名は無数」より) renrenhosh…

有名は有数、無名は無数

”水が来た。” 「これは森鴎外作『寒山拾得』から引用したもので、三島由紀夫の『文章読本』で激賞されている文なんだ」 「そうかそうか、さすがに名文だね。短いけど、すごい。なんというか、こう、気品が漂ってくるのよね」、「やっぱりね。違いますよ。短…

「うつる」でも「映る」でもなく「写る」

ガラスになぞる 写、射、斜、車、シャ、射る、入る Sにとって極端な場合には相手は物(比喩)でもいい なぞる、なする、さする、なでる 文章を読んで覚えるむずむず感 ガラスになぞる 透明ではなく透明感のある文体として、川端康成作『雪国』の冒頭近くの…

透明な言葉、透明な文章

やはり、ガラスはそのものを見るためではなく、向こうや彼方を見るものだと痛感します。それどころか、ひょっとすると別世界や異世界を見るためのものではないでしょうか。 考えれば考えるほど、言葉に似ています。言葉は目の前にあってそれが見えないときに…

敬体小説を求めて

敬体と常体 『日の名残り』 『わたしを離さないで』 『痴人の愛』 敬体で書かれた小説についてのメモ 敬体と常体 あれは「です・ます調」で書かれていた、とはっきり記憶している小説があります。童話や昔話を除いての話です。どんな文体だったかを覚えてい…

影に先立つ【引用の織物】

ガラスの内には典雅なニス塗りの、棺が飾られて、これも朝日を浴びていた。店の奥にはさらにいくつかの棺が、すこしずつ意匠を異にするようで、壁や椅子にやすらかに立てかけられ、楽器のようにも見えた。(古井由吉作「物に立たれて」(『仮往生伝試文』所…

「この詩は、まちがっています」

間違っていますか? 種明かし 敬体、常体、口語体、文語体 谷崎潤一郎作『痴人の愛』、江戸川乱歩作『鏡地獄』 間違っていますか? 灰谷健次郎の小説に『日曜日の反逆』という短編があります。 国道で「ヒッチハイクの合図」をしていた少年を、男は車で目的…

ガラスをめぐる連想と思い出

簡単に言うと、「Aだから、Bだから、Cだから、Dだから……」という論理っぽいつながりではなく、また「Aして、次にBして、それでもってCして、それからDして……」という物語っぽい流れでもなく、「Aといえば、Bといえば、Cといえば、Dといえば……」…