有名は有数、無名は無数

”水が来た。”

「これは森鴎外作『寒山拾得』から引用したもので、三島由紀夫の『文章読本』で激賞されている文なんだ」

「そうかそうか、さすがに名文だね。短いけど、すごい。なんというか、こう、気品が漂ってくるのよね」、「やっぱりね。違いますよ。短いけど、そんじょそこらの文章とはぜんぜん違う。なんというか、こう、文体が違います」、「分かります。そんな気がしたんだよな。言葉に独特のたたずまいがあるでしょ? なんというか、こう、匂い立つ教養を感じるんだ」

 その他、さまざまな反応があると想像できます。

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「ねえねえ、お父さん、お隣の〇〇くんが作文でこんな文を書いたのよ」

「なになに。『水が来た。』? ふーん」

 その他、さまざまな反応があると想像できます。

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「ねえねえ、お義父さん、うちの〇〇ちゃんが作文でこんな文を書いたのよ」

「どれどれ。『水が来た。』? おおお! あの子は天才だ!」

 その他、さまざまな反応があると想像できます。

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「ねえねえ、〇〇さんが作文でこんな文を書いたのよ」

「どれどれ。『水が来た。』? ――」

 〇〇にお好きな名前を入れてみてください。「――」に想像できる反応の言葉や感動詞約物を当てはめてみてください。〇〇が有名か無名かでリアクション(評価ではなく)は異なるにちがいありません。
 
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 有名は有数、無名は無数。

 有数の有名、つまりたくさんあるわけではない有名な名前の力はきわめて強大であり、無数にある無名、つまり星の数ほどある無名の名前が束になって掛かってもかなわないのです。

 たとえば、無名の人の小説は売れません。ところが「〇〇賞受賞」(「〇〇賞候補作」や「△△さん絶賛!」でもかまいません)というふうに、有名な賞の名前や有名人の名前とセットになると、手のひらを返したように人は買うし読みます。

 あと、無名の人のエッセイは読まれませんが、有名人のエッセイは読まれます(巧拙に関係なくです)。雑誌や新聞で連載されたエッセイが溜まってエッセイ集を出せば、これまた売れるのはみなさんご存じのとおりです。

「名前を買う」とか「名前を読む」とは言いませんが、「名前で買う」「名前で読む」のは事実だと思います。じつは私も名前で買ったり読んでいます。根がミーハーなのです。

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 名前は最小最短最軽の引用です。なかでも固有名詞、とくに人名は最強で最小最短最軽の引用なのです。小さくて短くて軽いくせに、どうして最強なのかと言うと、放つ光が半端じゃなくまぶしいからです。

 ある文章に人名や作品名があるだけでそこに光がさして、他の部分が見えなくなって読まない人も多数いるくらいです。ある文章を読んだには読んだけどそこに書かれていた名前だけが記憶に残っている。そんな文章は意外に多いと感じます。

 冗談はさておき、短いセンテンスについて、あれこれ書くのはフェアではありません。参考のために、以下の引用をご覧ください。

 私は、森鴎外作『寒山拾得』の中にある「水が来た。」は名文だと思います。句点を含めて五字からなる、この簡潔な文を意識して書いたことが何度もあるくらいです。

(前略)この文章はまったく漢文的教養の上に成り立った、簡潔で清浄な文章でなんの修飾もありません。私がなかんずく感心するのが、「水が来た」という一句であります。この「水が来た」という一句は、全く漢文と同じ手法で「水来ル」というような表現と同じことである。しかし鴎外の文章のほんとうの味はこういうところにあるので、これが一般の時代物作家であると、閭が小女に命じて汲みたての水を鉢に入れてこいと命ずる。その水がくるところで、決して「水が来た」とは書かない。まして文学的素人にはこういう文章は書けない。このような現実を残酷なほど冷静に裁断して、よけいなものをぜんぶ剥ぎ取り、しかもいかにも効果的に見せないで、効果を強く出すという文章は、鴎外独特のものであります。(後略)
三島由紀夫文章読本』第三章小説の文章より引用)

閭は小女を呼んで、汲みたての水を鉢(はち)に入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。清浄な水でもよければ、不潔な水でもいい、湯でも茶でもいいのである。不潔な水でなかったのは、閭がためには勿怪(もっけ)の幸いであった。しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
森鴎外寒山拾得』・青空文庫より引用、丸括弧内は引用者)

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 このブログを読んで数十分後に考えてみてください。

 「何が記憶に残りましたか?」

 名前、とくに人名だけでなければいいのですが。

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 文章のなかでは広く知られた名前ほどまばゆい光を放つ文字はない。文章のなかでは広く知られた名前ほど記憶に残る文字はない。今回は、そんな話をしました。