「私」を省く

 小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも――いやいまになって思うとそう感じていたからこそ――わざと言わなかったのかもしれません。本名を短くした「Jちゃん」を「ぼく」とか「おれ」の代わりにつかっていました。

 さすがに学校では自分を「Jちゃん」とは言っていませんでした。恥ずかしいことだとはちゃんと分かっていたようです。人ごとみたいに言っていますが、当時のことはあまり覚えていないのです。いずれにせよ、あえて「ぼく」とは口にしなくても話はできます。日本語の特徴ですね。

 こう書いていてはっとしたのですが、いまでも自分のことを一人称で言わない傾向があるのに気づきました。日常生活をしていての話です。うちは二人暮らしなので楽です。二人しかいないのですから、誰のことを言っているのかはちゃんと分かります。

「あれ」「これ」「あっち」「こっち」「あそこ」「あの人」「ほら」「ねえねえ」なんて感じで会話が成立するのです。混乱はまずありません。そういえば、二人称をつかうのもできるだけ避けていることに気がつきました。

 もちろん、家から一歩外に出ればやむを得ず一人称をつかっています。やはり二人称も避けて、相手の名前や職業を呼びます。「ちょっと、すみません」「あのう」「〇〇さんは~ですか?」「看護師さん」「先生」なんて具合に。それに外出といっても、お店とか病院くらいしか行きません。

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 十三年くらい前に、ほぼ一年にわたってブログで記事を書いていたことがありました。

 ブログをやっていた時期に書いた記事では、意識的に「私」が省いてあります。というか、省いたはずです。ひょっとすると「私」をどこかでつかっているかもしれません。「私」の代わりに「こちら」と「こっち」と「自分」はつかった記憶があります。

 現在のSNSに投稿する記事では変なこだわりはやめて「私」を省かない書き方をしています。ときどき気が向いたときにすることはありますが。

 なんで「私」を省くのかというと、勢いにまかせて書く傾向に若干の歯止めを付けるとか、ある制約を課すことで書く行為にかえって弾みが付くからなのです。ちょっときつく縛ったほうが身が引き締まるのに似ている。そんな言い方も可能かと思います。

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 古井由吉が初期に出した『水』という短編集があります。表題作の『水』は、その後の古井の小説に繰り返し登場することになる情景やイメージに満ちていて興味深い作品です。たとえば開腹手術のために入院した語り手が、音と気配と想像で病院内の様子を探る場面があるのですが、これは何度も後の作品で変奏されて出てきます。

 反復ではなく変奏ですから、同じ病気ではないし、同じ年齢の人物ではなく、同じ病院でもありません。でも病室のベッドにいわば目をふさがれたような形でいて(仰向けの場合もうつ伏せの場合もあります)、病院内や病院の外の様子にあれこれと思いをめぐらすのですが、その筆致がじつに濃密で、ときとして不穏かつ不気味に感じられることさえあります。

 ま、それが古井の魅力なのですけど。そうした作品を読むたびに既視感に似た感情を覚え不思議な気分になります。ああ、まただとか、あれっ、たしかこれは……という感じです。

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 そのうちにおもしろいことに気がつきました。ふだんの日常でも「ぼく」とか「わたし」とかいう人称は、できるだけ避けようとしている。日本語というのは、人称をはっきりたてなくも通じますから。そういう習性が、小説を書いていてもはたらくんです。「私」という人称をできるだけ減らしてみようと。(中略)そうして、とうとうあるとき、五十枚位の小説で、語り手も主人公もあきらかに「私」なんだけど、一度も「私」という人称を使わずにすませたことがあるんです。「水」という短編です。一度、どうしても苦しくて「こちら」という言葉は使いましたけど。
古井由吉「「私」という虚構」p.320『招魂としての表現』(福武文庫)所収)

 以上は、古井が早稲田大学の文芸科の課外授業という形でおこなった講演をもとにしたエッセイ(初出は「早稲田文学」一九九〇年三月)からの引用です。

 正確にいうと、古井は『水』で「こちら」を「一度」ではなく何度かつかっていて、「私」のいる「こちら」という方向を指すと取れるものもあれば、明らかに「私」の代わりに用いられているものもあるのですが、該当する箇所を講談社学芸文庫版の『水』から引用してみましょう。

 まず「私」のいる方向だと取れる例。

(中略)こちらも同じような山の中腹にあり、ほぼ目の高さから白っぽい靄が二つの山の谷間に立ちこめ、底のほうに蒼い光をほのかにこもらせている。目を凝らしているうちに、湖面が徐々に浮き出してきた。水のひろがりの中ほどに、向こうの山頂に点る水銀灯の明かりが落ちて、こちらに向かって細長く流れ、それを中心に無数の小波が蒼い影を滑らかな背から背へ送りながら、たえまなくゆらめていている。
p.38(太字は引用者による)

 次に「私」のいる方向とも、「私」の代わりに使われているとも取れる例。

 こちらに背を向けて流れの前にかがみこみ、水をていねいに飯盒に掬い上げたあと、右手が素速く水面から口へ運ばれたのが、肘のわずかな動きからわかった。
p.59(太字は引用者による)

 以下は明らかに「私」の代わりに用いられている例。一度、どうしても苦しくて「こちら」という言葉は使いましたけど――という古井の発言は以下の「こちら」を指しているのではないかと思われます。

 こちらも結婚を前にして、独り暮らしの疲れが一度に出たせいか、からだの調子がこのところひどく悪かったので、陰気な体験談に傾ける耳はなかった。
p.64(太字は引用者による)

 べつに詮索したわけではありません。畏れ多くてそんな失礼なことができるわけがありません。以上は、古井由吉の小説における視点を勉強しているときに大学ノートに書いたメモから抜き出したものです。

 学生時代に、純文学、娯楽小説、詩歌、エッセイ、広告文、新聞記事、学術論文などを対象にして、視点の研究をしていた時期があり、その惰性でたまたまやってみただけなのです。

 いま思い出しましたが、同じく古井の『背中ばかりが暮れ残る』(短編集『木犀の日』講談社学芸文庫・所収)という読みにくい(難しいのではなく読みにくいのです)短編があるのですが、これについては視点を分析していて途中に嫌になり放り出したことがありました。

 話を戻します。

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『水』という短編は、「水」という言葉とイメージのしりとりのように、複数の場面が記憶の連想としてコラージュ形式につながっていく構造を持っています。古井の短編を読む場合には、ストーリーを追うよりも場面の転換を楽しむのが適しているのではないか、と個人的には思います。

 以下は場面の転換に留意して取ったメモです。

 

 湖に面したホテルか旅館。夜中。語り手の男と、妻と二人の子ども。廊下の突き当たりの壁にある洗面所。コップの水。

 昼間の回想。湖を行く遊覧船。甲板から水面に落ちそうになる子ども。

 中学時代の回想。理科室脇の廊下。病身の男性教師。廊下の壁に据え置かれた戸棚。コップの水。

 上の記憶から三年後。病院のベッドで熱と痛みにうなされている語り手。夜中に聞こえる水の音。

 冒頭の場面に戻る。コップの水。渇き。

 大学生時代の回想。仲間との登山。水筒の水。山中の水場。

 冒頭の場面に戻る。廊下のガラス戸から見える湖の水面。

 病室で「水」と言う「おふくろ」の口に水差しをもっていく。

 

 以上のように次々と場面が切り替わり(じっさいにはさらに細かく切り替わります)、作品の最後のほうで「死期を感じ取っていた」らしい「おふくろ」が病室にいる様子が描かれているのですが、さすがにここでは「こちら」は使われていません。作品の構造あるいは必然として使われるわけがないのです。

 この短編は、次のように終わります。

(中略)額に汗が溢れ出た。顔を上げる勇気はなかった。汗まみれの浴衣の中でからだをわなわなと顫わせて水にかぶりついている、おふくろに似た姿が、鏡に映っているはずだった。p.69

 この部分は、作品の冒頭に出てくる、ホテルか旅館の「廊下の突き当たりの壁」にある「洗面所」だと取れるのですが、「おふくろ」と一体化したかにも読める語り手にとって「こちら」が念頭にあるはずも、また口にものぼるはずもない、と言えるのではないでしょうか。

「こちら」も「あちら」もが意味を無くした、水面のような「鏡」しか目の前にないはずだからです。印象的かつ感動的な終り方だと思います。

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 ここで、あえて図式化という、いかがわしくうさんくさい横着をしてみます。

 

「こちら」・「私」を省いた自分・生・いま・ここ

――――――――――――――――――― 水面・鏡・水

 あちら・かなた・あなた・記憶・過去・あの世・死・死者

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 ついでに、あえてさらにうさんくさい言葉を連ねます。

 こちらも結婚を前にして、独り暮らしの疲れが一度に出たせいか、からだの調子がこのところひどく悪かったので、陰気な体験談に傾ける耳はなかった。
p.64(太字は引用者による)

 上の箇所で、「私」を省き――たった一度だけであれ――「こちら」という言葉を選んだことは、この作品の構造が要請する必然だったのではないでしょうか。逆に「こちら」という言葉が作品の細部にある言葉とイメージを呼び寄せたと言っても、大差はないと思われます。

 たった一度の「こちら」が「(こちらも)結婚を前にして、独り暮らしの疲れが一度に出たせいか」という文で使われていることにも注目したいと思います。結婚という形で「おふくろ」と別れる時だからです。

 つまり一体化していた「おふくろ」が「(かなた)」に行き、語り手は「こちら」に来るとも考えられます。繰りかえしますが、作品の構造の要請だとも言えるし、言葉が言葉を引き寄せた結果だとも言えそうです。

「こちら」と「(かなた・むこう)」というこの相対化は、作品の最後に第二の「別れ」つまり死別を契機に再び立ち現われるのですが、当然のことながら曖昧化されます。それが必然なのです。

 以下は作中の身振りに注目して書いたメモです。

 

 昼と夜の間の時間に目を覚ます語り手の身振り、ゆらめく湖面の光景、船の甲板で水の動きに眺め入り水面に落ちようとする子どもの身振り、コップ一杯の水を見つめる(やがて死ぬことになる)若い教師の身振り、手術後に病院のベッドで身を横たえ水にまつわる記憶を反芻する過去の語り手の身振り、水の音を頼りに(死の符号にあふれた)病院内とその外を想像する語り手の身振り、水に対して尋常ではないこだわりと嗅覚を示した大学時代の友人(この男も病身でやがて死ぬことになる)の身振り、繰り返し立ち現れる水にまつわる記憶、水と隣り合わせに出てくる死の符号、水を飲み死へと赴く「おふくろ」の身振り、鏡の中を覗きこみ慄然とする「こちら」にいる語り手の身振り。

「こちら」と、あちら、つまりあなた・かなた。

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 考えすぎでしょうか。語り手や登場人物の人称代名詞や「名」について、古井はかなり考える書き手だったことを考慮すると、考えないほうが失礼だと思えてきます。

 もう二十年になりますが、「杳子」という小説を書いたことがあります。これはヒロインです。それに男性の、副主人公に当たる人物がいる。これは語り手、つまり著者の側に付いているので、ある意味では主人公といってよい地位にある。それをずっと書きすすんでいって、副主人公だから当然名前がいりそうなもんなんだけど、どうしてもつけられない。何か苗字でもつけたら、とたんに自分の筆がおかしくなるんじゃないか、そこで避けるだけ避けて、とうとう後半になって、人に名前を呼ばれる会話の部分でどうしても名前をださないわけにはいかなくなった。名なしのゴンベじゃ人は呼べないわけだから。「S」って頭文字を使いました。頭文字とは言いながら、じつは名前は浮かんでないのです。(後略)
古井由吉「「私」という虚構」p.317『招魂としての表現』(福武文庫)所収)

 確かに『杳子』の後半で、「杳子」を「ヨウコ」と呼ぶ杳子の姉の口から――会話での姉の言葉の中で「ヨウコ」と表記されるという意味です――、「S」が複数出てきます。どれもが電話口での会話です。以下はその一例です。

「ちょっと、おたずねしたいことがあるのですけど、Sさん」
と固い顰め面をありありと感じさせる声が返ってきた。
古井由吉『杳子』p.139(新潮文庫))

「S」は、この直後にも出てきます。

「S」だけにとどまらず、「杳子」と「ヨウコ」という表記の使い分けも気になります。これだけで記事が一本書けそうです。ここでは、「女・杳子・彼女・ヨウコ」と「姉・お姉さん・あの人」については割愛させていただきます。

【※別件ですが、蓮實重彦氏は『夏目漱石論』で、夏目漱石の『三四郎』において、登場人物のある女性が「女」と表記されるか、「美穪子(美禰子)」という固有名詞で表記されるかに注目して刺激的な考察をおこなっています。書き手が、ある登場人物をどう「呼ぶか/呼ばないか」つまりどう「書くか/書かないか」は看過できない要素として書き手に働きかけているように思われます。】

「S」に話を戻しますが、いずれにせよ、古井はこうしたこだわりがある書き手だったということです。看過するわけにはいきません。

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 余談だとは思いますが、付け加えておきたいことがあります。ここでおこなっている読み方について、「あれこれ屁理屈やご託を述べるよりも、たとえば古井氏が存命であれば質問することで解決するのではないか」と思う方がいても不思議はありません。

 それが「まっとうな意見」なのかもしれません。とはいえ、文芸作品は作者に質問をして答えが出るといった解決可能な謎に満ちたものではないと考えています。いまでは言い古された陳腐な言葉になってきましたが、「いったん作られた作品は作者から離れて成立している」のです。

 ただ「まっとうなふつうの人間」である部分では、こうも考えています。「こちら」から「(かなた)」に行かれた古井氏に「(むこう)」で会って、聞いてみたいなあ、と。そんな自分がいるのも事実なのです。

 先生、なんで「こちら」があそこだけに出てくるのですか? なんで「私」を省いたのですか? 

 冥途への土産ができたと言えば不謹慎でしょうか。愚問に沈黙で応えている古井氏の苦笑が目に浮かぶようです。

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 さて話をうんと前に戻します。そうです。小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子の話です。なんで言えなかったのでしょうね。不思議でなりません。

 その子どもがずっと後に――それも中年になってから――「私」を意識的に省いた文章で一年もブログの記事を書くことになるのですから、これまた変な話です。

「三つ子の魂百まで」を地で行っているじゃないですか。ギャグのような人生を送っていると言っても過言ではないと思います。

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 この記事の前のほうで、古井由吉の「「私」という虚構」というエッセイから引用した文章で省いた箇所――(中略)とした部分です――があるので、以下に紹介します。

(前略)「私」という人物を、主人公なり語り手にした以上、どうしたって「私」を主語にした文が多くなる。しかし、文章のある呼吸とかある言いまわしを使えば、この「私」はずいぶん節約できる。そのぶんだけ、かえって文章が明快になって緊密になってくるような気がして、こうなるとわたしも凝り性で、減らすほうに熱心になっていきました。(後略)
古井由吉「「私」という虚構」p.320『招魂としての表現』(福武文庫)所収)

 さすがに、古井は的確に表現しています。「呼吸」という言い回しが気になります。まさに「私」を省いて書くとは、そんな感じなのでしょう。呼吸の仕方であれば癖にもなるでしょう。それを真似る者もいそうです。なるほど「凝り性」ですか。この記事を書いていて、またやってみたくなってきました。