近いまぼろし、遠いまぼろし

・大地: 枠はない。自然。固定化を指向する名詞という線引きによる分類がない。常に流転(流れ転じる)している。常時、移り変わっている。「しる・しるす」とは、そぐわない。つまり、しることもできないし、しるすこともできない。つまり、名付けて名指す…

013

人は存在しないもので動く 開いた窓 斜めから見る 「見えないもの」を想像して見ることで、それが「ある」と決める 何でも俯瞰できるという錯覚の心地よさ 地球的規模で考えれば、誰もが傍観者 斜めから見ると見えるという話 人は有るものよりも無いものによ…

012

012 「screen」という英語の言葉を辞書で調べると、その見出しのもとに並んでいる日本語訳を眺めていて不思議な気分になる。screen が変奏されているわけだが、screen という見出しの語で束ねられてそこに並んでいるだけに、異化されて感じられるのだ。 つい…

011

011 「リーダーズ英和辞典」(研究社)と「ジーニアス英和大辞典」(大修館書店)を参照すると以下の screen の日本語訳が目に付く。 1)さまたげるもの、さえぎるもの。ついたて、すだれ、びょうぶ、幕、とばり、障子、ふすま、仕切り、障壁、目隠し、遮蔽…

010

010 辞書は友達。退屈なときにいっしょに遊ぶ。いや、遊ぶというよりも遊んでもらう友達。もてあそばれている気もする。 国語辞典では「うつる」「うつす」「かげ」をよく訪ねる。訪ねるたびに新しい発見があるのは、忘れっぽいせいだろう。 英和辞典でよく…

009

009 ヒトは「似ているかどうか」を基本とする印象の世界に住んでいる。「似ているかどうか」は印象である以上、誰もが容易に「わける」ことができる。これとそれは「似ている」、これとあれは「似ていない」、という具合に。 この「わける」というのは、個人…

008

008 「きわ」や「ふち」や「はし」に身を置いて思いをめぐらすさいには、「いまここ」にはその取っ掛かりがないだけに取り敢えず何かに取り掛かる必要がある。 取り掛かる、とっかかる、寄り掛かる、よっかかる 「ない」のだから捏造する必要がある。 欠く、…

007

007 「きわ」を変奏してみる。 ふち、ふちっこ、崖っぷち 「ふち」を変奏してみる。 A:辞書(広辞苑)で「ふち・縁」の語義を見ると次の言葉が見える。 はし、へり、まわりのわく。 B:漢和辞典(漢字源・学研)で「縁」を調べると、次の言葉と文字が見え…

006

006 「きわ」を変奏してみる。「きわ・際」という言葉(音)と文字(かたち)を転がしてみる。 はし、は、はて、はてる、 きわ、きわまる、きわみ、かぎり、かぎる、かたわら、あいま、かた、わき、ほとり、きし、あたり、そば 端・はし・はて、果て・涯・は…

005

005 ここはどこなのだろう? パソコンを前にスクリーンに向い、スクリーンの下にあるキーボードのキーを叩いて文字を入力する。入力された文字と文字列を眺めながら文を作っている。 そんな時の私はどこにいるのだろう? 最近では、パソコンに向う時間を短く…

004

004 たとえば、ノートを前にして紙の上にペンを走らせているさなかの時点が、執筆時における「いまここ」だと考えてみる。同様に、PCを前にしてスクリーンに向い、キーボードのキーを叩いて文字を入力している時点が執筆時の「いまここ」だとする。 とは言…

003

003 書いている最中であれ読んでいる最中であれ、文字を相手にしている者の現時点はどこにあるのだろうか? 読み書きをしている最中の「いま」はいつで、「ここ」はどこなのか? たとえば、ノートを前にして紙の上にペンを走らせている時点が「いまここ」だ…

002

集団としての人が事物と現象を対象にするためには、それらについて書かれた文字を対象にするしか現実的な方法はない。現にそうなっている。 言葉は発した瞬間に消えていくから、消さないかぎり残る文字を相手にするのが最も便利である。文字と文字列は、残っ…

001

001 人はあらゆる事物と現象を文字として残そうとする。人が事物と現象を文字という別物に置き換えるのは、その時々の事物そのものとその時々の現象そのものを残すことが不可能だからにほかならない。刻々と移り変るものを刻々と移り変らない別のものに置き…

辺境としての人間

テリトリー、外、内、辺境 辺境に身を置いた人たち 言葉は外と内から辺境へとやって来る 辺境としての自分 夢の言葉、言葉の夢 テリトリー、外、内、辺境 昔の話です。 「仏文学は澁澤龍彦、独文学は種村季弘(たねむらすえひろ)、英文学は由良君美(ゆらき…

うつせみのあなたに

ビードロ、ぎやまん、硝子 うつせみのあなたに 山のあなたの空遠く あなた(かなた)・彼方・貴方(貴男・貴女) マラルメとうつせみ ビードロ、ぎやまん、硝子 ガラス。硝子。ビードロ。ぎやまん。 ガラスという言葉で、ビードロという言葉を思い出しました…

あれよあれよと読む

きちんと本が読めないのです あれよあれよと読んでしまう あれよあれよにも種類があるのです いやだ、ズルしちゃ駄目よという感じでしょうか 内容とか筋はどうでもいいです きちんと本が読めないのです 一日の大半を過ごす居間のテーブルには、PC脇に何冊…

小説をまばらにまだらに読む

線と点で線状に並べていく 言葉は人の外にある外 「きょうから、黒いカラスは白いサギだ」 複製、拡散、保存される文字 本物(実物)のない複製の時代、起源のない引用の時代 文字は便利 一気に書かれたわけではない 活字は錯覚装置 「まばらにまだらに」が…

文字や文章や書物を眺める

人のつくるものは人に似ている。人の外面だけでなく内にも似ている。人の意識をうつしているとしか思えないものがある。 書物、巻物、タブロー、銀幕、スクリーン、ディスプレー、モニター。 人には見えないものを人は真似ている。聞こえないものを真似てい…

「ない」ものに気づく、「ある」ものに目を向ける

「 」「・」「 」 「ない」ものに気づく、「ある」ものに目を向ける 「ない」ために目立つ 一人称の代名詞が省かれている 「 」から「こちら」へ 「 」と「こちら」から「俺」へ ストーリーでも内容でもなく、書かれてそこにある言葉の身振り タイトル、titl…

「欠けている」と名指したときに欠ける

欠けている 数量が足りない 動きに追いつけない 点と線でしかない 書くときに感じる失調 欠けていると書けている 最初に失調がある 「ない」から書けている 「欠けている」と名指したときに欠ける 欠けている 足りない、欠けている、ない。 何かが足りない、…

異、違、移

それは強烈な個性ではなかった。なるほど強烈な個性はまわりの人間たちを、異和感と屈辱感によってだけでも、かなり遠くまで引きずって行くことができる。実際にそんなこともあった。 (古井由吉『先導獣の話』(『木犀の日』所収)講談社文芸文庫p.22) 違…

ジャンルを壊す、ジャンルが壊れる

ジャンル嫌い、ストーリー嫌い 「らしさ」「っぽさ」がジャンルを成立させている 雑誌に連載された小説、新聞に連載された小説 パソコンで執筆してネットで公開される作品 小説を壊す、小説が壊れる 崩壊 崩れ とりとめのないものにこだわる ゆるやかに章が…

「日、月、白、明」、そして「見、目、耳、自」が

古井由吉作『仮往生伝試文』は確かに難解なのですが、理解なんて無粋なものは求めていない気がします。読めば読むほどそんな気がしてなりません。難しいのではなく、むしろ読みにくいのです。そんなわけで、お経と同じで意味なんか知らなくてもいいと決めこ…

「私」を省く

小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも――いやいまになって思うとそう感じていたからこそ――わざと言わなかったのかもしれません。本名を短くした「Jちゃん」を「ぼく」とか「…

知らないものについて読む

文芸作品そのものを読むよりも文芸批評を読むほうが好きでした。大学生時代はちょうど文芸批評の全盛期みたいな雰囲気があり、従来の印象批評の本が相変わらず続々出版され、フランス製のヌーベルクリティックとか英米加製のニュークリティシズム、そして日…

文字を見る

私には「文字を読む」ことが途方もなく難しい行為に思えてなりません。見るのではなく読むことが、です。たいてい見ているのです。見てしまうのです。 読んでいると、文字を追いながら、文字以外の何かを思いうかべたり、思いえがいたり、思いおこしたりして…

文字の顔

ある文章について思い出そうとしているのですが、なかなか出てきません。自分にとってはとても大切な意味を持つ文章なので、書き進めながら何とか思い出してみます。 まずはその文章の前提というか、背景となる話から書きます。 ヨーロッパのある国に、日本…

「似ている」の魅惑

「ワンパターン」は褒め言葉 作家が書くときの癖 繰り返し出てくる光景や身振り 他人の家に入る 共振する身振り 書いてあることを読まずに、書かれていないことを読んでしまう 作品と作家を超えて共振する身振り 「似ている」に依存する 関連記事 「ワンパタ…

他人の家に入る

他人の家に入るとぞくぞくします。こんなことをしていいのだろうかという後ろめたさも覚えます。こういう気持ちが特殊なものかどうかは知りません。話せる友達がいないので聞いたことがないからです。 私は他人の家に入った経験が人よりずっと少ないのではな…