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 人はあらゆる事物と現象を文字として残そうとする。人が事物と現象を文字という別物に置き換えるのは、その時々の事物そのものとその時々の現象そのものを残すことが不可能だからにほかならない。刻々と移り変るものを刻々と移り変らない別のものに置き換える。何かの代わりにそれとは別の何かで済ます。これが人類の手にした最強の手品である。

 事物・現象と文字とは別物である。両者は似てもいなければ共通点もない。事物と現象の中には、人から見て、似たもの、似せたもの、偽物、別物がある。人から見て、同じものに見える、感じられるものもまたある。人は、同じかどうかを自力で判断することはできず、同じだと決めるしかない。人ははかることが大の苦手なのである。そのため、同じかどうかの判断を、人は自分の外部にある道具、器具、器械、機械に委託する。

 人は似ているを基本とする印象の世界に生きている。人は同じを基本とする世界には生きていない。一方、文字は同じかどうかを基本とする世界にある。道具、器具、器械、機械と同様に、文字もまた人の外部にある。文字は同じを原理にしている。道具、器具、器械、機械と文字の共通点は、人のつくったものであり、人の外部にあり、刻々とは移り変らないことを前提とし、同じかどうかを原理に機能することである。

 人が事物と現象を文字に置き換えて残すのは、文字が同じかどうかの世界にあるからである。同じかどうかの世界にある文字は、手軽かつ迅速に発し複製し拡散し保存することができるという驚くべき特質を備えている。事物と現象を文字に置き換えて処理することは、人類が手にした最強の手段であり手品である。人は文字をいじることによって、万物をいじっている気分になれるだけでなく、似ているを基本とする印象の世界に生きている自分が、同じかどうかを基本とする明晰な世界に生きているという錯覚を楽しむことができる。このようにして、人は文字に嗜癖し文字に付く。

 似ても似つかぬもの同士を同じと見なす。これが文字という手品の前提である。この前提は、なぞる、まねる、まねぶ、まなぶことによって人びとのあいだで共有される。ならう、ならす、なれる、これが共有である。人はわすれる、あやまる、それる、ずれるが、それをただす、なおすために、なぞる、まねる、まなぶ、ならう、ならす、なれるを繰り返す。このようにして、似ても似つかぬもの同士を同じと見なすこと、つまり決まりを共有する。それでも、人はずれる。人は同じかどうかの世界に生きていないからである。

 事物と現象を似ても似つかぬ別物である文字に置き換える。事物と現象を置き換えた別のものである文字をいじる。この手品を支えるのが、目と手と指だ。その意味で、目と手と指は人にとって特権的な意味を持つ。人がはかるためにつくり利用している、道具、器具、器械、機械と文字は、目と手と指を用いていじる。

 文字は文字ではない別物の代りにそこにある(唯一の例外は文字という文字)――。音声としての言葉が放す、離す、話すものであるように、文字は欠く、掻く、描く、書くものである。「はなす」、「かく」、「はっする」は、「ない」と「ある」のあいだで揺れる。「ない」から「ある」へ、「ある」から「ない」へ、「ある」(「ない))と同時に「ない」(ある)、「ある」(ない)にもかかわらず「ない」(ある)、「ある」と言えば「ある」、「ない」と言えば「ない」、「ある」ようなもの、「ない」みたいなもの、「ある」らしい、「ない」もどき。

 ほとんどの文字は人が消さないかぎり残る。文字は物に付く。文字は場に付く。文字は空間を占める。そうした意味で文字は「ある」。文字は「もの・物・場・空間」だと言えるし書ける。人もまた物に付き、場に付き、空間を占めるが、個人のレベルでも集団のレベルでもいずれは消える。文字はものとして残るが、文字としては人とともに消える。人は文字に先立つ。

 言葉は息。言葉は、人によってはなされたとたんに人からはなれる。文字は影。人によって先立たれた文字は人に先立たれてその命を終える。