雨に濡れながら、あなたを待つ

 雨、濡れる、待つ。

 この三つが出てくる歌はとても多い気がします。私は音楽には疎いので、数えたことも調べたこともありません。そんな気がするだけです。

 そういえば、初めて買ったレコードが雨の出てくる曲でした。これは待つ歌ではありませんけど。

 私が初めて歌い覚えた(聞き覚えた)歌にも雨が出てきます。こちらには、雨、濡れる、待つが出てきます。

 いま頭の中にあるのは日本語の歌です。雨の歌が多いのは、雨の季節がある風土も影響しているにちがいありません。雨がほとんど降らない土地が世界にはたくさんあるようですが、そこで歌われる歌には雨は出てくるのでしょうか。

 雪にまみれながら、あなたを待つ。砂嵐の中であなたを待つ。それなりに情緒を感じます。

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 雨が降る。雨粒が落ちてくる。

 空から、天から、遙か彼方の上のほうから落ちてくる。雨は天の使者。天のお使い。

 恵みの雨もあれば、命を奪う雨もあります。人は天に左右されます。天の気持ちが天気なのでしょうか。気象とはその気持ちが形となったあらわれなのでしょうか。

 雨に身を任せながら、あなたを待つ。

 あなたも私も同じ空で同じ雨に降られている。雨が降ることで、待つ人との一体感や連帯感が生まれるのかもしれません。

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 一方で、雨は人を内に向かわせます。内省的になります。

 雨の日は、ぼんやりとした頭で、思いは内に向かいます。

 雨に濡れる景色を見ながらも、その目は遠くをながめています。遠くを見ながらも、きっと内をながめているのでしょう。

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 雨という漢字を見ると雨が降っているさまが見えます。読むのではなく見ないと見えない気がします。見ないと見えない。

 濡れるにも、雨が降っていますね。これも見ないと見えない。よくできています。濡れて、ぶるぶるっと身を震わせたときに飛び散る水も見えます。トイレの壁の染みや天井の模様に似ています。

 見ないと見えない。こういうのはたぶん読んではいけないのです。見るだけにとどめておくのほうが、よさそうです。

 知識ではなく感じるにとどめるという意味です。

濡れる

 雨に濡れているさまを想像すると悲しくなります。わびしいですね。寄る辺ないです。かたわらには雨に濡れた木もあります。道も濡れている。空は薄暗い。

 歌謡曲ばかりでなく、古文の詩歌でも雨や濡れるは出ているにちがいありません。古文も、古くから日本にある定型詩にも、私は不案内なので、想像するだけです。

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 恋愛をうたった詩や歌で「濡れる」が出ていれば、性的な意味を度外視するわけにはいきません。そこまで読まなければ、詠んだ人に失礼だという気もします。

 女性も男性も濡れます。雨に。

 ほのめかすというのが、詩や歌だけでなく、広く文学ではおこなれています。

 濡れるは潤うでもあります。

 日常生活でも人は頻繁にほのめかします。直接的に言うよりも、ほのめかすほうがずっとぞくそくするからでしょう。

 あからさまに口にするのは興ざめです。

 におわすという言い回しもいいですね。ほんのりとにおう。ほんのりとした香りがする。

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 雨の匂い。

 これもいい響きで、そのさまを頭に浮かべると、鼻腔が刺激されるようで、ぞくぞくします。つんと頭に来る感じもします。

 雨の匂いがあたりに立ちこめる。

 雨が降りそうな気配の中で、雨の匂いを最初に感じたときの、あの鼻の中に広がるいがらっぽさが好きです。あれは濡れた土や埃の匂いなのでしょうか。有機物と無機物が絡みあったような不思議な匂いです。

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 人が濡れるということをもっとも感じされてくれるものは目ではないでしょうか。

 目を見ると濡れています。間近で見るとよく分かります。瞳も濡れていると、そこに自分がいるのがよく見えます。

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 濡れて、そこに映るのです。そして、そこに写り、移る。

 ここからそこに、こちらから向こうに、容易には移れません。困難な「移る」の代わりに、容易な「映る」と「写る」があるのでしょう。

 おそらく、「映る」と「写る」は「移る」の代償行動なのです。カメラやスマホを思い浮かべるとよく分かります。

待つ

 待つときほど、ときを感じるときはありません。ときときとき。ときが詰まっているのが待つだという気がします。時間ではなく、ときです。

 時が持続だという言い方に説得力を感じます。

 待つには何かがぎっしり詰まっている気がします。何かが連鎖しています。その「何か」は人それぞれでしょう。

 ぼんやりと待つは待つではない気もします。別の行為をしているのではいかという意味です。

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 待つは苦しみである場合があります。「何か」がぎっしり詰まった「待つというとき」が顔面を押しつける真綿のように人を苦しめます。窒息しそうになります。

 待つが耐えがたくなるのです。

 それがつらくて、人は待つ間に別の何かをします。つらさを誤魔化しているのかもしれません。

 楽しみであるからこそ、苦しい。そんな待つの思い出がありませんか。

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 あなたを待つ。貴方を待つ。彼方を待つ。

 遠くにいる彼方、愛しい貴方。両方があなたという言葉で結ばれている。あなたと口にすることで、あなたが私の中にいる。遠くが私の中にいる。愛しさが私の中でふくらむ。

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 待つ。来ない。

 このふたつもよく歌に出てきます。来ないが来ることで、歌は盛り上がります。涙を誘います。涙を流すことが快感であることは、みなさんご承知のとおりです。

 自分のことを回想すると、彼方にいる自分に涙します。他人のことを見ていても涙が出ます。距離を置くことで、涙は快さに転じます。

 うれし涙とは別の話です。

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 待つ。来ない。

 来るか、来ないか。待つときの中で、人は宙づりにされます。木の枝に掛かったミノムシやクモのように。ぶらぶら。

 賭けなのでしょう。任せるしかありません。何に任せているのは分からないまま任せるのです。

 賭ける。掛かる。

 雨が降り続ける。来るか、来ぬか。小ぬか雨が降る。雨が木に掛かる。あなたのことが気に掛かる。

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 待つ。来ない。

 待って裏切られることがあります。せつないです。悲しいです。うらみます。憎しみを覚えます。

 でも、好きなら許してしまうのです。何度、裏切られだまされても、許す場合があります。

 その繰りかえし。

 雨と同じ。降ってや止み、止んでや降る。それも、いつかは終わるはず。

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 歌は終わりません。頭の中で繰りかえし繰りかえし出てきて鳴っています。昼間の夢うつつや、寝入り際にもやって来る友です。

 きっと最後の最期にも来てなぐさめ、いやしてくれるはずです。数々の歌で歌われているあなたとは歌なのかもしれません。

思い出

 私が初めて買ったレコードです。


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 私が初めて歌い覚えた(聞き覚えた)歌です。


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