His/Her Song―洋楽と邦楽における性差

Killing Me Softly with His/Her Song

 この歌、好きです。ピアノに向かってスタンバイして、すぐに出だしがタタタタっときて軽快。声もクリアでいてしっとりとした艶があって、いい感じ。

 音楽について素人の私は、蘊蓄を傾けるなんてことはしません。というか、できませんので、知っていること、感じていること、考えていることだけを書いていきます。うざいとお思いの方は、文章は飛ばして動画だけお楽しみください。それが、この記事のいちばんの目的ですので。本当ですよ。

 いろいろなバージョンとかカバーを聞いた覚えがあります。CMでこの曲が流れた記憶もあります。


www.youtube.com

Killing Me Softly with His Song(やさしく歌って)Roberta Flack

 この歌を検索していると、面白いことに気づきます。タイトルが微妙に違っているものがあるのです。フランク・シナトラが歌うと Killing Me Softly となり、ペリー・コモだと Killing Me Softly (with Her Song) となります(オリジナルである Lori Lieberman のバージョンでは Killing Me Softly with His Song です)。 


www.youtube.com

 律儀ですね。俺は男だ、と主張しています。タイトルだけじゃありません、歌詞を見ると、ちゃんと he が she 、his が her 、him が her になっているのです。

 あと、出だしがすごく遅いですね。ロバータ・フラックのいきなりタタタタっとくるのと大違い。シナトラやペリー・コモだと、歌い出すまでに20秒から50秒もかかるのです。

 昔はのんびりしていたからでしょうか。単純にそう思ってしまいますが、アレンジはそういう簡単なものじゃない気もします。ひょっとして一曲を長く持たせる必要のある、ディナーショー向けのアレンジなのかもしれません。

        *

 洋楽における性差と言うのは、薄々感じていたのですが、意識して歌詞を見ると、不思議に感じられます。何しろ、日本では演歌をはじめてとして、ばりばりの男性がばりばりの女性の曲を歌っているのです。その逆もありますね。水前寺清子さんなんか、男心を歌っていました。

 いつだったか、こういうことが気になったときに、アメリカ人と付き合っている日本人に聞いてもらったことがあります。そのパートナーさんの話では、男性が女性の歌を歌うなんて(そして、その逆も)、アメリカではありえないという返事でした。強く否定された記憶があります。

 どうやら、アメリカだけでなく、英国でもヨーロッパでもそんなふうだという気がします。

 なぜなんでしょう。WHY? ビコーズ、男が女の歌を歌うなんて変でしょ。なんて素っ気ない答えが返ってきそうです。そりゃそうなんですけど……。逆に、なんで、日本では男が女の歌を堂々と歌うわけ? なんてツッコまれたら、どうしましょう……。

 論理的に説明できそうにはありません。しどろもどろになるのが目に見えています。

        *

 一つ思うのは、英語は性差がうんと少なくなってきていますが、ヨーロッパの言語には女性名詞・男性名詞があったりして【※中性名詞まである言語がありますね、文法上の性は名詞だけでなく形容詞や冠詞にまで反映されます、詳しいことはウィキペディアの解説「性(文法)」をご覧ください。】、性差という縛りが言語にがっちりとあらわれているからかもしれません。それと関係があるような気もします。

 たとえば、「私は幸せです」は、フランス語だと、男性は「Je suis heureux.」、女性は「Je suis heureuse.」となり、もろに性差が言葉に出てしまうのです。ドイツ語でも、「私は日本人です」は、「Ich bin Japaner.」 (男性)と Ich bin Japanerin. (女性)という具合になります。ある意味、窮屈ですね。こういう言語が母語だとすれば、母語に違和をいだく人もいそうです。

 日本語では「僕、俺、あたし」の代わりに「私」を使えば性差は隠れますね。そもそも「私」を省くことさえできるのですから、すごい言葉だと思います。私は日本語で満足しています。

 以上は、あくまでも個人の意見および感想です。

        *

 見つけました! 以下の動画では、マイケル・ジャクソンが堂々と Killing me softly with his song と歌っているのですけど(歌は0:29くらいから始まります)、この動画についているたくさんのコメントが興味深いのです。性差を問題にしています。嫌な感じのコメントも多いです。要するにマイケルを非難しているのです。もちろん、この点に関して好意的であったり支持しているコメントもあります。関心のある方はご覧ください。


www.youtube.com

 マイケルがかわいそうです。私はうんざりしました。ああ、やっぱり日本がいい! と。私は歌いませんが、男性が「なみだの操」を堂々と歌える日本がいい。

 16歳だったマイケルのこの歌、好きです。感情が、こう、ぐっと伝わってくるような熱唱。うまいわ。これこそ、Killing me softly with HIS song 。惚れ惚れします。

You've Got a Friend

 男女間の愛ではなく、友情を歌うとそのままの歌詞でカバーが可能になりますね。


www.youtube.com

You've Got a Friend(君の友だち) 

 たしかに、この楽曲についてのウィキペディアの解説を読むとカバーがめちゃくちゃ多いです。そりゃあ、そうでしょう。friend なら、男女の別なんて関係なし。


www.youtube.com

 これなら文句は言われないでしょうね。マイケル、よかったね。マイケル、やっぱりうまいわ。

なみだの操

”あなた~のために”

 大ヒットでしたね。女心を、おじさんたちがだみ声であるいは美声で堂々と歌える、この国は居心地がいいなあ(くどいかもしれませんが、私は歌いませんけど)。

「なみだの操 殿さまキングス」(作詞:千家和也・作曲:彩木雅夫)のウィキペディアの解説を読んでいて、びっくりしました。売れに売れた曲なのに印税がめちゃくちゃ少ないのです。雀のなみだ~。事実なら洒落にもならないお話でした。そりゃ泣くわ。

”泣かずに待ちます”

 ああ、健気。

     *

 で、ふと思ったのですけど、日本には歌舞伎という素晴らしい伝統芸能があります。男性が女性を演じることには何ら抵抗はないわけです。そうした要素を歌舞伎から取り除いたら、何が残るというのでしょう。

 宝塚(宝塚歌劇団)だってそうです。女性だけで歌劇を上演するわけです。女性が男性を演じることに何ら抵抗はないわけです。

 キリスト教圏では、男女の間に明確な一線を設けて、その間に曖昧なゾーンの存在を許さないということでしょうか。厳格な二元論と言うか。一方で、この国には、クリスマスを祝った一週間後には神社とお寺をはしごするという風土があるのです。きわめて曖昧。

 日本には、性差を曖昧にする素地があるということです。その割には、女性の社会進出がとほうもなく遅れているという摩訶不思議があります。いい意味でも曖昧、悪い意味でも曖昧ということでしょうか。

 曖昧の国、日本。

サン・トワ・マミー

”サン・トワ・マミー”
 sans toi ma mie の ma mie はフランス語で「私の恋人(女性です)よ、あなたなしでは」(英語で言えば、without you, my baby )という感じなのですが、フランス語を勉強するまでの私にとっては、サントワマミーは意味不明のおまじないの言葉でした。

 もともと女性に振られた男性が嘆いている歌なのですが、日本では岩谷時子訳の歌詞を越路吹雪さんが歌って大ヒットしました。女性が堂々と男心を歌っているわけですが(越路吹雪さんは宝塚で男役でした)、そんなことを気にしない(知りもしない)のが日本の風土なのです。

 越路吹雪さんの歌ですが、聞かせますね。説得力が半端じゃない。


www.youtube.com

     *

 岩谷時子さんの訳詞には素晴らしいものが多いです。元の詩の意味を汲んで、大和言葉中心の日本語するという至芸。

「サン・トワ・マミー」も、代表作「愛の賛歌」でも、ほぼ大和言葉だけの詩になっています。こうした訳業で、日本の歌謡曲の歌詞は豊かになったと言えるのではないでしょうか。


www.youtube.com

Sans toi ma mie(サン・トワ・マミー)Salvatore Adamo

 これが元歌で、若き日のアダモが作詞作曲したそうです。シンガーソングライターだったのですね。すごい。元が男性の歌なので、淡々とした歌い方ながら、これにもまた説得力を感じます。「僕、泣かないよ」という感じの表情がなかなかいい(私の妄想みたいですけど)。

”Sans toi ma mie
Le temps est si lourd”
”君がいないと
時はこんなにも重い”

We Don't Talk Anymore    

 歌における性差を考える場合にはデュエットを避けるわけにはいきませんね。気になったので、男女のデュエットを探してみました。男女の別々のパートに分かれるものが多いみたいです。いわゆる「デュエット」ですから、当然なのでしょうね。

 このMVの映像が綺麗で好きです。画面が左右に分断されていて、それぞれの映像が勝手に流れるわけですが、二重に分裂していく自分を感じてわくわくします。MVとなると個人的には二分割が限度です。それ以上だと目まいがしそう。


www.youtube.com

We Don't Talk Anymore

Start of Something New

 この動画も検索をしていて目に留まったのですが、設定が面白くて何度も見てしまいました。デュエットっていいですね。楽しそう。こっちまで楽しくなってきます。

 この動画を見て、日本発のカラオケ文化の偉大さのエビデンスを目にした思いがしました。PCでウィキペディアの左側にある外国語サイトのリストで見ると、英語でもフランス語でもスペイン語でも karaoke ですよ。中国語では、卡拉OKって言うんですね。勉強になりました。


www.youtube.com

Start of Something New (はじまりの予感) 

或る日突然 

 ある日突然、変わるのですね。

”あんなにおしゃべり していたけれど”

 友達から……ですか。なるほど。

「或る日突然 トワ・エ・モワ」(作詞・山上道夫・作曲・村井邦彦)はメロディーも歌詞もシンプルで、ほっとします。


www.youtube.com

ヘイ・ポーラ 

 男女それぞれのパートがあって……と考えていて、たしか何かあったなあと思い、うろ覚えのままに必死に検索したら、ありました。幼いころに聞いた記憶があったのです。

 恋人の名が、ポール(Paul)とポーラ(Paula)ですよ。a が付いて、女性形。絵に描いたようなデュエットじゃないですか。

 ほかに、Robert(o)(ロバート・ロベルト)とRoberta(ロバータ)や、Mario(マリオ)とMaria(マリア)や、Carlo(s)(カルロ(ス))とCarla (カーラ)のように、oが男性形、aが女性形の例はまだまだありますね。

 当時は、テレビの生放送でさかんにアメリカの歌を日本人が歌っていました。英語で歌っているのもあれば、訳詞もありました。懐かしいです。こういう過去との再会があるのが YouTube の醍醐味なのでしょう。YouTube はタイムカプセルです。

 田辺靖雄さんと梓みちよさんです。検索すると、この二人の曲は他にもありますね。


www.youtube.com

ヘイ・ポーラ(Hey Paula・Paul and Paula)1963 田辺靖雄梓みちよ  訳詞・みナみカズみ(後の安井かずみ

 これがオリジナルなのですね。二人とも古き良き時代のアメリカ人(陳腐な表現で申し訳ありません)という表情をしていませんか。何か、いいなあ。この初々しさと素人感はすごい。感動してしまいました。


www.youtube.com

 何かに似ている――。

 既視感を覚えて考えていたのですが、思いだしました。昔テレビで見たラブラブショーとかいう番組に出てきた、若い男女のスターたちのぎこちないデュエットに似ているのです。

 スターや有名人に限らず、こういう雰囲気や表情の若い二人を見かけなくなって久しい気がしてなりません。時代が変わったのでしょうか。

木綿のハンカチーフ

 男女それぞれのパートがあって、これを一人で歌うというパターンもなかなか味わいがあります。とくに「木綿のハンカチーフ 太田裕美」(作詞:松本隆・作曲:筒美京平)は、太田裕美さんのイメージが強いですから、女の子が一人芝居をしているという設定を妄想してしまいます。

 傷心の女の子が過去を追想し演じることで、事実を客体化=虚構化して癒やしを得る、という感じ(考えすぎですね)。そのイメージで聞くと、女の子の健気さに涙が出てしまいそうです(勝手にしろ、ですよね)。

 それにしても、毎日の新聞やテレビやネット上のニュースを見ていると、こういう男女二役の歌詞をどちらかの性の人が歌い、それを人びとが楽しむという状況が考えられない国や地域があります。政治的であったり宗教上の事情や理由からなのですが、「ありえない」のです。

Jolene

 ところで、今回、この記事を書いていて、あれはどうなっているのだろう、と気になったある曲を思い出したので、検索してみました。

 オリビア・ニュートン=ジョンが歌っていた「ジョリーン」です(カバーだそうです)。

 なんで、オリビアさんが、女性の名前を、カントリー独特のこぶしをきかせながら連呼しているのだろう? それも、のっけから。

 そう思いませんか? 不思議ですよね。で、歌詞を調べて納得しました。

”Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
I'm begging of you
please don't take my man”
”ジョリーンさあ~ん、ジョリーンさんたらさあ~
お願いだから
私の彼氏を奪わないでえ~”

 そう歌っているのです。なるほど、氷解、了解、納得。矛盾なしです。

 そりゃあ、声を大にして、叫びたくなりますよ。秀樹さんが「ローラ!」と歌っているのとは違うんですね。

 それにしても、必死な歌詞。健気ですね。こんな歌だとはぜんぜん思っていませんでした。勉強になりました。


www.youtube.com

Jolene - Olivia Newton-John

Killing Me Softly

 最後は、これです。検索して見つけた Killing Me Softly のカバーなのですが、すごく気に入ってしまいました。ぜんぜん知らない二人なのですけど……。

 冒頭で見た歌ですが、性差が表れる歌詞を、この男女のデュエットが歌うといったいどうなるのだろう? 興味津々。


www.youtube.com

 難聴と英語力の不足で歌が聞き取れないのですが、この動画のコメント欄にある「Nevaeh Brown 5 年前(編集済み)」というユーザーさんのコメントに、この二人の歌っているらしき歌詞が聞き書きされていてびっくりしました。

 男女二人でカバーしているわけですが、女性と男性の歌うパートにちゃんと性差があらわれているのです。律儀ですね。役割分担がばっちりなんです。

 英語の性差、恐るべし。なんて思いました。

 日本語のカバーではあり得ない律儀さと「正確さ」。うーむ、根が深いです。考えさせられます。

     *    

 今回の記事には「His/Her Song―洋楽と邦楽における性差」なんて、偉そうなタイトルを付けましたが、実はこのテーマについて、私は分からないことだらけなのです。

(そもそも私は分からないことについてしか記事を書きません。エッセイでも小説でも同じです。分からないから書いているのです。書いていくうちに分かるかな、と薄い望みをいだいているのですが、結局は分からずに終わります。私にとって「分かる」は結果ではなくプロセスなのです。)

 英語そのものも変わりつつあるようです。私は家にある古い英語の本でしか、英語に触れていないので、そうした変化や流れについてはほとんど知りません。

 また当然のことながら英国と米国では事情や現象が異なるでしょうし(そもそも英語は世界のあちこちで広く用いられています)、どんな変化と流れにも抵抗は付きものですね。私は前から気になっていた they の新しい用法あたりから、勉強してみようと思います。