【夜話】同床異夢、異床同夢

 寝入るとき、人はとつぜん一人になります。二人で抱きあって寝ていたとしても、眠りに入った瞬間に二人は別れます。どんなに愛し合っていても、二人いっしょに眠りの中にいることはできません。

 お墓とはちがうのです。そんなの、嫌ですか? 悲しいですか? お風呂もベッドも夢も、いっしょじゃなきゃ嫌。せっかく生きているのに。人生の三分の一は眠っているというのに。

 お風呂はお墓に似ている、と書いた作家は誰だったか? それとも、浴槽は棺桶に似ている、だっけ? 

 そういえば、トイレで縦長のドアが並んでいるのを見るたびに、縦に並べたお棺に見えると語った女性を思いだしました。女性専用のトイレに入ったことがないのに、妙にリアルに感じたのを覚えています。

 詩を書いていたあの人にまた会いたいです。夢でもいいから。

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 一人でいる時がいちばん安心できる人もいます。ここにも、ひとりいます。さらにいうなら、寝る時くらいは一人でいたいと願う人間でもあります。もちろん私のことです。

 それにしても、同床異夢とはよく言ったものですね。四字熟語として使われるさいの比喩的な意味ではなく、文字通りに意味を取りましょう。同じ寝床で寝て異なる夢を見る、です。

 同床異夢。話をややこしくしなければ、当たり前に近い至言かもしれません。多くの人にとっては残念で悲しい至言ということでしょうか。

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 同床異夢、同床同夢、異床同夢というぐあいに、漢字を入れかえて遊んでみたくなります。文字が意味とイメージの塊なので、ブロックや積み木みたいに遊べるところが漢字の熟語の醍醐味です。

 並べ替えてもそれなりに意味ありげに感じられるのは、漢字の造語力が優れているからでしょう。

 造語といえば、言界、現界、幻界、弦界、絃界――。こんなふうに私は自分語をつくって楽しんでいます。「げんかい」と読める「二語熟語」が十個あるのです。

「同床同夢」と「異床同夢」をネットで検索してみると、同じような遊びをした例がヒットし、その中で「藤枝静男」という名前を見つけてはっとしました。

 あまりよく知られた名前ではありませんが「藤枝静男」という作家がいて、その人の書いた『異床同夢』というタイトルの作品および作品集があるのです。

 同床異夢は当然のことですが、異床同夢となると、これは摩訶不思議な話になります。魅力的な作品名でもあります。残念ながら藤枝の『異床同夢』は読んだことがありません。

 どんなことが書いてあるのでしょう。その文字を見たとたんにイメージが湧いて、たちまちそれが膨らんできます。藤枝の小説のタイトルで好きなのは、『犬の血』『異物』『私々小説』『出てこい』『虚懐』『空気頭』です。作品自体も好きです。

 異床同夢、つまり違う――あるいは遠く離れた――寝床で寝ているのに同じ夢を見る話を描いた小説や漫画や映画は多いです。ストーリーの浮かびやすいテーマなのでしょうか。

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 未読の書名を見て、その内容をあれこれ想像するのが好きです。本を読むよりも好きなのですが、このところその傾向がさらに強くなってきました。

 タイトルだけ、またはその本の宣伝文句や簡単な解説を読むとぞくぞくします。架空のというか仮想の内容があれよあれよと浮かんでくるのです。

 私の場合には、書評は長すぎて興がそがれます。本の中身を想像するさいの邪魔になるのです。

 長年購読している新聞は中小の出版社の広告が多くて、起床後に第一面のいちばん下を見るのが楽しみでなりません。二面、三面の下のほうだと大手の出版社の広告が掲載されています。

 推しはなんといっても第一面の広告なのですけど、読書面のある土曜の朝刊では、零細な出版社の広告や出版情報が載っていてわくわくします。

 きょうは土曜日。梅雨時で寝苦しい夜でしたが、胸のときめく朝のひとときを過ごすことができました。頭の中は想像――むしろ空想と妄想と言うべきでしょう――でいっぱいです。